最高裁判所第二小法廷 昭和27年(オ)216号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔説明〕(一) 原審の認定した事実によれば、被上告人は訴外甲に対し他から金借方を依頼して実印を預けたところ、甲は右実印により印鑑証明書の交付を受けかつ被上告人名義の公正証書作成のための白紙委任状を作成してこれらを上告人に交付し、被上告人の代理人として上告人から四万円を借り受けると同時に、右委任状等を使用して右貸借につき公正証書を作成すべきことを上告人に委任した。そこで上告人は、訴外乙を被上告人の代理人に選任し委任状の受任者名を乙と補充した上同人をしてこれを公証人に提出せしめ、同人と共に公証人に委嘱して右貸借につき本件公正証書を作成せしめた。しかし被上告人は訴外甲に対し単に金借方を依頼しただけで、公正証書の作成に関しては甲または乙その他何人に対しても代理権を与えたことはなかつたものである。そして本訴は、被上告人において右公正証書の無効を主張し上告人を被告としてその執行力の排除を求めた請求異議の訴であるが、上告人は、仮に訴外甲が本件公正証書の作成につき被上告人の代理権を有しなかつたとしても、同人は被上告人から金借方を委任されて実印の交付を受け、その委任の趣旨に従い上告人から本件金員を借り受けたのであるから、上告人としては訴外甲が本件公正証書の作成についても被上告人の代理権を有すると信ずるにつき正当の理由があつたものであつて、被上告人は右公正証書の無効を主張することはできない旨抗争した。
ところが第一、二審とも、「公正証書記載の強制執行の受諾に関する合意は、強制執行による権利保護の要件を形成する訴訟法上の法律行為たる性質を有するから、その性質上私法の原則として表見代理につき認められた民法一一〇条の適用を受けないものと解すべきである」との理由で、上告人の右抗弁を排斥し被上告人の請求を認容した。
(二) 第一、二審判決の右の理由は、昭和一一年一〇月三日大審院判決(民集一五卷二〇三五頁)の理由をそのまま援用したものであるが、大審院は右につづき昭和一九年九月二八日の判決(民集二三卷五六九頁)においても、右理由の外、公証人はたとい善意であつても無権代理人の嘱託により公正証書を作成すべきではないとの理由を附加して、同一の結論を判示した。
以上の判例に対して一部学者は、強制執行受諾の合意は訴訟行為ではあつても、裁判所に対してなされる一連の行為の一環たる通常の訴訟行為とは趣を異にするから、これに民法一一〇条の準用を認めても不都合はないばかりでなく、取引の安全を考慮すれば、むしろ同条を準用し公正証書を有効と認むべきだと論じ強く反対している。
(三) ところで本件につき、最高裁第二小法廷は、裁判官の意見が対立した。すなわち多数意見(霜山、栗山、藤田)は、上告理由を単なる事実認定の非難にすぎないものと見てその理由をもつて上告を棄却したが、少数意見(小谷、谷村)はこれに反対し、上告理由は原判決の前記法律判断の不当を主張するものであつてこれにつき判断を示すべきであるとの前提をおいた上(註)、原判決と反する次のような見解を明らかにした。
「思うに、訴訟上の法律行為(以下訴訟行為という)は私法上の法律行為(以下法律行為という)とその性質を異にし、したがつて法律行為につき認められた民法上の諸原則がそのまま訴訟行為に適用さるべきでないことはいうをまたない。しかしながら、両者その性質を異にするとの理由のみにより、法律行為に関する原則は訴訟行為には全く適用の余地がないものとなすべきではなく、法律行為につき定められた民法の規定であつても、これを訴訟行為に類推適用することがむしろ相当と認められる場合の存することを否定すべきではない。現に民法一〇八条は公正証書における執行受諾行為についてもこれを類推適用すべしとすること当裁判所の判例とするところである(昭和二六年六月一日第二小法廷判決民集五巻三六七頁参照)。そして民法一一〇条もまた執行受諾行為にこれを類推適用すべきである。けだし、執行受諾行為は訴訟行為ではあつても、これに民法一一〇条の法意を類推し、相手方が代理人に公正証書作成の代理権ありと信じかつこれを信ずるにつき正当の事由があつた場合においては、公正証書は本人に対しその効力を有するものと解しても、これを不当となすべき何等実質的理由を発見することはできないばかりでなく、かえつてかく解することが、取引の実情に合致し、取引の安全を重視する法律の精神に適合するものと信ぜられるからである。原審の見解は、形式論に拘泥して取引の実情を無視し、法律の精神に背馳せるものであつて、とうていこれを支持することはできない。
(註) 上告理由は趣旨が明確でなく詳細をここに紹介する価値はないが、私見をいえば、むしろ少数意見のように解するのが相当であつて、多数意見は上告理由の真意を見落しているように思う。
右の見解は大体において前記反対学説と軌を同じくするが、これに対し藤田裁判官は、多数意見の形式で次のような反論を展開した。
(1) 本件公正証書に記載された強制執行受諾の合意は、被上告人の代理人としての訴外乙と上告人との間になされ、右両人の嘱託にもとずき記載されたもので、しかも乙がかかる行為をなすにつき被上告人の代理権を有しなかつたことは原審の確定したところであるのに、上告人は原審においてもつぱら、訴外甲に本件公正証書作成の代理権があると信ずべき正当の理由があつた旨を主張しただけで、訴外乙のなした前記合意につき民法一一〇条が適用せらるべき法理と事実関係は何も主張しなかつたのだから、原判決が上告人の抗弁を容れなかつたことは当然である。
(2) 「かりに、民法一一〇条の法理によつて上告人と被上告人との間に強制執行受諾に関する合意が有効に成立したとしても、訴外乙に被上告人を代理する権利のないことは前敍のとおりであるから、右合意に関する公正証書の記載は無権代理人の嘱託にもとずいてなされたものといわなければならない。公証人に公正証書を嘱託する行為は公法上の関係であり、殊に執行受諾に関する合意を公正証書に記載することを嘱託する行為は、公証人に対し当該公正証書をして強制執行の債務名義たるの要件を具備せしめることを要求する行為であつて、その間に民法一一〇条の適用の余地のないことはもちろんであるから(上告人も公証人に対する関係において民法一一〇条の適用ありとは主張していない)、右合意は「強制執行による権利保護の要件を形成する訴訟法上の法律行為たる性質を有する」の故をもつて、民法の表見代理の規定はその適用を見ないとして上告人の抗弁を排斥した原判決は、正当であるといわなければならない(昭和一九年九月二八日大審院判決民集五六九頁参照)。」
(四) 取引の安全の要請を強く顧慮する立場からみれば、少数意見にはたしかに聴くべきものがあり、少くともその結論が本件の具体的妥当性に合致することは疑がない(記録によると、上告人は訴外甲から被上告人の代理人として金借方を申し込まれるや、公正証書を作成するなら貸してもよい旨答えたところ、甲は被上告人から預つた実印を示して公正証書の作成も本人から委されている旨請け合つたので、上告人は安心して四万円を貸与したとの事実がうかがわれる)。これに対する藤田裁判官の(1)の反論はさして有力とは思われない。けだし、上告人はもつぱら訴外甲に代理権ありと信ずべき正当理由がある旨主張したに止まるけれども、その真意は要するに、上告人は甲が公正証書作成に関し自ら被上告人の代理人になると、適宜複代理人を選任すると、または複代理人の選任を他に委任するとそのいずれの権限をも有した――したがつて甲の委任にもとずき上告人自ら選任した訴外乙は、公正証書の作成につき被上告人の正当な代理権を有した――と信じ、かつその信ずるにつき正当な理由があつた、との趣旨と解しえられないことはないからである。
しかしながら、無権代理人により作成された公正証書の効力につき民法一一〇条の適用を考慮するには、まず公正証書における執行受諾の意思表示の性質を明らかにする必要がありはしないか。なぜなら、右意思表示が債権者債務者間の合意ならばともかく(前記判例は合意とみている)、もしもそれが公証人に対する債務者の一方的意思表示であつて債権者との意思の合致を要しないものであるならば(兼子・強制執行法八五頁、松岡・強制執行要論上五三一頁)、当該意思表示の相手方はむしろ公証人であつて債権者ではないのだから、債権者が右意思表示をなした債務者の代理人に代理権があると信じたか否かまたその信じたにつき正当の理由があつたか否かの如きは、全く問題とする余地がないからである。また、公証人は無権代理人の嘱託によつては公正証書を作成すべきでなく、仮に作成しても――公証人の善意悪意にかかわらず――証書は無効となす外はないと解されるが(公証人法三一条、二八条、三二条、七九条等参照)、それにもかかわらず民法一一〇条の要件が充たされる限り(かりに充たされるとしても)これを有効と解すべきかは疑問であつて、あたかも無権代理人の申請による登記の場合と同様、一がいにこれを肯定しえないものがあると思う。藤田裁判官の前記(2)の反論も大体において以上の諸点を衝いたものであつて、前記少数意見は、その具体的妥当性にもかかわらず、これらについての疑問に答えない点で、にわかに賛同し難いものを感ずる。
結局本判決は、前記法律問題に関し何ら解決を与えたものではないけれども、これについての一部裁判官の見解が明らかにされた意味で興味深い。
(青山調査官)